それでも人生にイエスと言う【ヴィクトール・E・フランクル】 / レビュー・感想

 

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本の情報

  • それでも人生にイエスと言う
  • V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳)
  • 1993/12/25

 

概要

ナチスによる強制収容所の体験をした著者が「人生を肯定する」ことを訴えた講演集。極限の状況下でも人生を肯定し続けた著者の体験と思想を本書を通して学ぶことができる。

 

【引用】個人的に気になったポイント

生きるということは、ある意味で義務であり、たったひとつの重大な責務なのです。

 

しあわせは、けっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです。

 

私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。

 

もし生きることに意味があるなら、苦悩することにも意味があるはずだ

 

内面的な能力、人間としてのほんとうの自由は、囚人からとりあげることができなかったのです。その自由は残っていたのです。最後の息を引き取るまで残っていたのです。

 

人生はそれ自体意味があるわけですから、どんな状況でも人生にイエスと言う意味があります。そればかりか、どんな状況でも人生にイエスと言うことができるのです。

 

本書から得た気づき

私たちは問われている存在

本書では人生の問いのコペルニクス的転回とあったが、「生きる意味があるか」と問うのではなく「人生は私に何を期待しているか」と言う発想は印象に残った。

よく何のために生きているのか、なぜ生まれてきたのかと哲学的な問いを投げかけることが歴史上多々あるが、180度転回して実は問われている存在という考え方は大きな衝撃だった。

このような問いは投げかけても答えは返ってこない、ただ問われているのであれば自分自身で答えを見つけ出せねばならない。この発想・考え方は人生を主体的に生きること、そして生きることの責務を強烈に思い知らされる。

 

実践ポイント

人生は自分に何を求めているのか

この問いはまるで神が自分に問いかけているかのようである。またこの自分への問いかけは人間や社会、この世の全てとのつながりを想起させ、より深いレベルでの自己認識に至る。

具体的に

定期的に人生は自分に何を求め、何を期待しているかを問う

 

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