教養として学んでおきたい神社【島田 裕巳】 / レビュー・感想

 

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本の情報

  • 教養として学んでおきたい神社
  • 島田裕巳 (著)
  • 2020/12/24

 

概要

日本人の身近にある神社について学ぶことができる本書。神社の成り立ちや社格をはじめ、現代人における神社の役割や信仰などが解説されている。

 

【引用】個人的に気になったポイント

神社を守っているのは神主だが、神主は神社に住んでいるわけではない。寺院は僧侶が生活し、宗教活動を営むための場で、その点で、人のための場所なのである。そこで神社とは異なってくる。普段、部外者が一般の寺院に入り難いと感じるのも、そこが、宗教施設であると同時に僧侶の生活の場になっているからである。

 

日本の神々は、歴史を重ねることで増殖してきたのである。

 

日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである。

 

日本の神社界の中心となるのが、天皇家の祖先神である天照大神を祀る「伊勢神宮」である。伊勢神宮は、昔から「お伊勢さん」とも呼ばれてきた。そのお伊勢さんに参詣に出かけることが「お伊勢参り」である。ただ、伊勢神宮の現在の正式な名称は「神宮」である。

 

人を神として祀ることができるということは、これからも新しい神が生み出されていく可能性があるということである。

 

神を祀ることに特別な許可は要らない。祀ろうとする人間がいて、それを実行に移せば、新しい神が誕生する。

 

三種の神器のうち、八咫鏡の実物は伊勢神宮の内宮に祀られている。天照大神の神体というわけである。草薙剣は、愛知県名古屋市の熱田神宮に祀られている。八尺瓊の曲玉は、皇居内の剣璽の間に祀られている。

 

通常、神宮と言う場合には、伊勢神宮をはじめ皇室関係の神社のことを言う。

 

神道には創唱者がいないわけで、教えもなければ、教典もない。その点で、ない宗教としてとらえられるわけである。ない宗教としての神道とある宗教としての仏教とは相性が良いとも言える。

 

日本人は、初詣には神社に行き、葬式は仏教式で行うのに、結婚式はキリスト教式では、宗教についていい加減だと言われることが多い。

 

私たちが祈っているとき、神仏のことを思い描いたりはしない。神社で祭神をイメージしながら祈ったりはしないのだ。重要なのは、祈りに集中することである。ほかには何も考えず、祈りという行為に没頭する。神社には、それが可能になる仕組みが備わっている。

 

重要なのは、作法に縛られることではなく、神に相対して、こころを無にすることである。

 

本書から得た気づき

歴史を重ねることで増殖してきた日本の神々

神道の興味深いところは歴史を重ねるごとに神が増えることである。もちろん神によっても古事記などの神話に出てくる神、その他の神、元々は人間のように分類はされているが、このように神が増えていく宗教はそうあまりないだろう。本書で「他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきた」や「祀ろうとする人間がいて、それを実行に移せば、新しい神が誕生する。」とあり、ある意味神は身近な存在であったのだろう。ソクラテスの死やキリストの死にも少し通ずるところがあるかもしれないが、人間は人智を超えた何かを見出し時、たとえ人間であれ信仰の対象とするのかもしれない。

 

現代における神社の役割

日本を始め新興国では無宗教の人たちが増えているという。

それは科学の進歩により自然現象の解明が進んだり、病気が治りやすくなったりと未知の対象が減ってきていること、都市部を中心に地域とのつながりが希薄化し、伝統的な宗教が受け継がれにくくなっていることなどが挙げられる。

その上で現代における神社の役割の一つとして祈りに集中できる環境の提供である。特定の神を思い浮かべるでなく心を無にしてただ祈る。

神社に行くと不思議と無意識のうちに手を合わせて祈る。その時、神と相対すると共に自分自身と向き合う。変化が激しく忙殺される現代において、実は最も必要な時間なのかもしれない。

 

実践ポイント

神社で祈ること

月に一度くらい会社近くの明治神宮に訪れて祈るのだが、毎回神聖な気持ちにさせてくれ、自分自身と向き合うきっかけを与えてくれる。今後はより神社について学び、より身近なもにしていく。

具体的に

定期的に神社に訪れ、祈る

 

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