本の情報
- 堕落論
- 坂口 安吾
- 2015/2/20
概要
敗戦直後、混迷する日本中を熱狂させた「堕落論」、「続堕落論」はじめ、坂口安吾の作品を現代翻訳した本書。5つの作品を通して坂口安吾の世界を読み解くことができる。
【引用】個人的に気になったポイント
堕落論
あの偉大な破壊の元では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、空っぽではなく充満していた。
戦争の間、私は怯え、震えながら、しかし、ほれぼれと破壊の美しさに見とれていたのだ。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできない。防ぐことによって人間を救うこともできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に、人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのだ。生きているから堕ちるだけなのだ。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。
続堕落論
堕落するべき時には真っ当に、正しく、真っ逆さまに堕ちなければならない。道徳が崩れ去るのだ、混乱しなさい。血を流し、毒にまみれなさい。まず地獄の門をくぐって、それから天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませて、その爪を剥ぎ落として、じりじりと少しずつ、天国へ近づく以外にどんな道があるだろうか。
堕落とは、いつも孤独なものであり、他の人たちから見棄てられ、父母にまで見棄てられ、ただ自分自身に頼る以外にどうしようもない宿命がそこにある。
堕落は制度の生みの母であり、その切ない人間の真実のあり方を、私たちはまず、最も厳しく見つめることが必要なだけだ。
本書から得た気づき
坂口安吾が感じた戦争
本書で坂口安吾が戦争における破壊や人間に美しさを感じていたというのはとても興味深かった。戦争の毎日に楽しみ始めていた楽天家も少なくなかったといい、近所の女将さんが「爆撃がない日は退屈ね」と世間話の中でふと漏らしたのは衝撃だった。
人は考えることができない状況は堕落しないと語っていたが、運命に翻弄される宿命は悲惨さと同時に当人達はえも言われぬ興奮を抱いていたのだろうか。
本書を通して戦争について新しい見方や考え方を知ることができた。
堕ちる道を堕ちきることで自分自身を救う
本書で語られる堕落とはただ楽に怠けるとは違い、俗世から離れ孤独な自分自身と向き合うことであり、それはとても辛く苦しいことだと述べている。
ただ上っ面だけの世間体を気にした人生を送るよりも、素直になって正しく堕落しきることで、はじめてより良い道がわかるのだという。
どれだけ時代が進み豊かになろうと、人間がなかなか幸せを感じられないのは、この堕落論に通じるところがあるように思う。周りからなんと言われようともっと素直に自分の心の声を聞いて生きることが大切なのかもしれない。
実践ポイント
堕落について考える
堕落論を通して悪い意味で捉えていた堕落について改めて考えてみたいと思った。特に正しく堕ちるとは何なのか自分なりに考える。
具体的に
堕落についての考察をアウトプットする
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