時間はなぜ取り戻せないのか【橋元 淳一郎】 / レビュー・感想

 

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本の情報

  • 時間はなぜ取り戻せないのか
  • 橋元 淳一郎
  • 2009/12/19

 

概要

我々の目に見えない時間とは一体何なのか?物理畑のSF作家による古来より多くの哲学者、科学者が探求してきた永遠のテーマである時の流れに果敢に挑む思考実験をまとめた一冊である。

 

【引用】個人的に気になったポイント

実在とは何かという問いは、実在そのものとその実在を感知する人間がいて、はじめて成立する問いである。そこには、実在と人間の(観測装置を介した間接的な)相互作用がつねにある。

 

現在知られている物理学の法則の中に、時間が過去から未来へ流れているということを示すものは何一つない。時間の流れがないばかりでなく、過去と未来という区分もない。どの時点を現在とするかは、単なる座標軸の設定の問題であり、過去、現在、未来の区別は大きな意味を持たない。

 

我々はつねに現在に生きている。生きるとは、いうまでもなく今を生きるということである。それゆえ、主観的時間に存在するのは現在だけであって、過去や未来は存在しない。過去の私や未来の私は、現在の主観としての「私」が想像している私の時間であって、それは他人の時間と同じように、主観が想起の対象としている客体としての時間である。さらに、主観的時間にはつねに時間の流れがある。「私」が感じる時間は、つねに過去から未来へと流れている。

 

「私」とコンピュータの違いは、コンピュータが物理法則だけから成立しているのに対して、「私」は物理法則プラスアルファの何かによって成立しているのである。

 

生命の秩序は、機械の秩序と比べてはるかにもろい。「人間は考える葦である」とは至言である。このもろさこそが、主観あるいは主体的意思を生み出す源泉であることを、忘れてはならない。

 

すべての生命は主観を持つ。これが本書の一貫した立場である。

 

主観を持つ生命は閉じた系であり、内なる自分とそれを脅かす存在としての外界がつねに明確に線引きされていなければならない。主体的意思の第一歩は、自己と他者の境界が存在するということである。

 

もし光の立場に立つことができれば、光が見る宇宙は空間はぺしゃんこ、時間は止まったまま、という奇妙な世界である。これは時空が縮退した状態である。

 

ビッグバンによって宇宙が誕生した直後には、質量を持つ素粒子は存在しなかったとされる。そのような宇宙では、我々がア・プリオリ(先天的)な概念として持っている時間や空間は存在しなかったことになる。なぜなら、質量0の粒子はすべて光速で動き、光速で動けば空間はぺしゃんこ、時間は止まるからである。いわば時空は縮退している。

 

つまり素粒子の世界においては、原因と結果という時間の流れを前提としたような現象はないのであって、我々人間がそれを我々の時間の流れの中で解釈しているに過ぎないということである。

 

本書から得た気づき

光から見る宇宙はぺしゃんこで時間は止まっている

時間はある意味絶対的なものとして認識しがちだが、実は全然そうじゃないことを改めて認識させられる。

光から見る宇宙はぺしゃんこで時間も止まっているとのことだが、ありえないが仮に光の速さで移動できるとしたらそれはもはや常識では考えられない世界に見えるのだろう。

我々の生きている世界の常識はあまりにも範囲が狭く、宇宙のことを学べば学ぶほどこの世界の不思議と奇跡に驚かされる。

 

実践ポイント

時間の不思議

時間とはつまり主観的感覚であり、対象が変わればまた時間の流れも変わる。時間の不思議を改めて感じる。

具体的に

相対性理論に関する本を読む

 

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