世界は贈与でできている【近内 悠太】 / レビュー・感想

 

世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 / 近内 悠太の詳細はこちら【Amazon】

 

本の情報

  • 世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学
  • 近内 悠太
  • 2020/3/11

 

概要

資本主義社会において贈与が果たしている役割について切り込んだ本書。見通しが立たない現代を生き抜くための発見と知的興奮に満ちた新しい哲学となっている。

 

【引用】個人的に気になったポイント

ビジネスの文脈では、相手に何かをしてほしかったら、対価を差し出すしかありません。相手が認める対価を持ち合わせていなかったり、「借りを返す」見込みが薄い場合などでは、協力や援助を取りつけることは難しくなります。だから大人になると、ギブ&テイクの関係、ウィン – ウィンの関係(交換的なつながり)以外のつながり を持つことが難しくなるのです。

 

「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」これがギブ&テイクの論理を生きる人間のドグマです。要するに「割に合うか合わないか」で物事を判断する態度です。割に合うなら助けるし、仲良くする。割に合わないなら、縁を切る。他人を「手段」として遇する態度です。

 

親切にされればされるほど、何か裏がある、打算があるはずだと感じてしまう。「割に合うかどうか」という観点のみにもとづいて物事の正否を判断する思考法を、「交換の論理」と呼びたいと思います。

 

交換の論理は「差し出すもの」とその「見返り」が等価であるようなやり取りを志向し、貸し借り無しのフラットな関係を求めます。ですから、交換の論理を生きる人は打算的にならざるを得ません。それゆえ、交換の論理を生きる人間は、他人を「手段」として扱ってしまいます。そして、彼らの言動や行為には「お前の代わりは他にいくらでもいる」というメッセージが透けて見 えます。なぜなら、この〈私〉はあくまでも利益という目的に対する手段でしかないからです。 だから信頼できないのです。つまり、贈与が無くなった世界(交換が支配的な社会)には、信頼関係が存在しない。

 

世界と出会い直すことで、僕らには実は多くのものが与えられていたことに気づくのです。

 

僕らは、他者とのっがりを求めなが同時にそのつながりに疲れ果てる。

 

ルシウスが見て驚くもの、驚く対象。それは、古代ローマには存在していなくて、現代においては存在しているもののおよそすべてです。 それらは、僕らが気づかぬうちに受け取っていた贈与なのです。 なぜなら、古代ローマには存在していなかったということは、この世界に初めからあったわけではないものです。ということは、歴史の過程で、それを生み出した誰かがいるということになります。だとすれば、それは誰かからの僕らに宛てた贈り物と言えます。

 

逆説的なことに、現代に生きる僕らは、何かが「無い」ことには気づくことができますが、「ある」ことには気づけません。いや、正確には、ただそこに「ある」ということを忘れてしまっているのです。

 

贈与はすべて、「受け取ること」から始まります。「自分はたまたま先に受け取ってしまった。だからこれを届けなければならない」メッセンジャーはこの使命を帯びます。だから「生きる意味」「仕事のやりがい」といった、金銭的な価値に還元できない一切のものは、メッセンジャーになることで、贈与の宛先から逆向きに与えられるのです。

 

大人も勉強することができます。そして、それは世界ともう一度出会い直すための手段となるのです。具体的に言えば、歴史を学ぶことです。いわゆる日本史、世界史も大切ですが、経済史、政治思想史、科学史、数学史、技術の歴史、医療の歴史なども重要です。

 

歴史を学びながら、もしその世界に自分が生まれ落ちていたら、この目には何が映るのか、どう行動するか、何を考えるかを意識的に考えるようにすることです。そこに生きる一人の生身の人間としての自分を考えるのです。それはもはやSFと同じ機能を有しています。過去の世界は、僕らにとって十分に異世界です。そして、ふとその想像から戻ってきて、この現実の世界を見渡してみたとき、僕らにはあまりにも多 くのものが与えられていることに気づくはずです。

 

アンサング・ヒーローは、彼らの贈与にいたるまでの苦労を教えてくれません。贈与の意味を教えてくれません。誤配された手紙に何が書かれているかを語ってはくれません。誤配の手紙は僕ら自身で読み解かなければならないのです。届いてしまっていた手紙を読み解く能力、それが想像力なのです。それは、僕ら受取人の側が知 ろうとしない限り、見えてきません。

 

本書から得た気づき

世界ともう一度出会い直す

勉強することで世界ともう一度出会い直すという考え方に大きな気づきがあった。たしかにこの世界が当たり前すぎて「ある」ことになかなか気づけない。

でも本当はこの世界にあるものは先人たちの努力と苦労の賜物であり、とてつもないたくさんの贈り物の中に生きているのである。

それは歴史や科学などについて学ぶと贈り物が見えてくる。先人たちの贈り物もあるが、宇宙からの贈り物についても気づくことができる。

「ない」ことばかりに目を向けがちだが、僕たちはもっと当たり前に「ある」ことに気づき、喜びと感謝をもっていい気がする。もっと世界と出会い直すためにも引き続き勉強をして、この世界を満喫し尽くしたい。

 

実践ポイント

学ぶことで世界と出会い直す

最近本を読み始めて、いかに自分は何も知らなかったを痛感させられることが多々ある。

それはある意味で世界と出会い直している行為であり、この世界の「ある」に気づくことができる絶好の機会である。

今後も本を読んだりすることで、この世界にある贈り物に気づいていきたい。

具体的に

歴史関連の本を100冊読む

 

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